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家族関係

家族関係

遠方から娘たち夫婦が訪ねてくれました。

一緒に買い物に行ったときに、娘が石焼き芋を買おうとするのを、私が止めました。彼女は不満そうではありながらも私が止めるのを押し切ってまでは買いませんでした。
後日夫と買い物に行き、おばあちゃんへのお土産にそのお芋を買い夫の分も買って食べてみるととても美味しいのです。

焼き芋

「あっ娘に買わせなかった」と思わず言ってしまったら「なんで買わせなかったの?食べたいものを何故止めたの?自分で稼いで自分で食べたいものを買おうとするのをやめさせるなんて親のエゴだろ!」「あーーかわいそうな〇〇ちゃん、なんで彼女はいう事を聞いたのかな?」
なんて言われてみて、考えてみたら、何の根拠もなく無駄に感じるとか、今食事したばかりで食べ過ぎない方が良いとか、私の側の価値観を押し付けていたのでした。
でも、娘は親の言う事を無視しなかった。この辺に問題があるという事は何となく感じました。
子育て中に自分の気分を押し付けてきた部分も多かったと、振り返ってみれば反省する点が多々あった子育てでしたが、もう育ちあがった娘に、当たり前に日常的に、親であるという理由で色々な事を押し付けてきたのかなと改めて感じるお芋事件でした。

韓ドラが好きで見ていますが人間関係が変だと感じることがあります。昔の日本の家族制度の面影が残っていて、子は親の言う事には絶対服従するという部分が、韓ドラ現代版の中で、問題を面倒くさくしている原因だと思うことがあります。
そこから話が展開しているので、美しくも見えるような錯覚を起こす人間関係ではありますが…。

親を敬う。親を大事に思う。育てていただいた恩に報いる。等々とても素晴らしい事ですが、気が付かないうちに観念に支配を受けていないか?
親子という関係性の中で無言の支配をしていないか?
親の方も大事にされる資格を持たねばならないのだと思います。

「安心の安は、家に女と書いて、母は家に溶け込んでしまっている心で生きている。己を他の中に消す事が出来る心が神の姿の現れ。」と沖先生の著書の中にあったのを思い出しました。

改めて家族関係とか親子関係とかにこだわってみたのも家族のあり方は私たちが決める。

この大原則が、自民党改革草案24条で「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない。」などと憲法で縛ろうとする事の裏を考えての怖さです。

憲法は権力を縛るもので、国民を縛るものではないという原則が破られようとしている事。
「すべて国民は個人として尊重される」という憲法の条文が侵されようとしている事の恐ろしさです。

瑞穂の国(安倍)記念小学校の籠池校長が「教育勅語のどこが悪いんですか親に孝行しなさい。自分のことより他人を大事にしなさいと教えているんですよ!」と開き直った会見をしているのを聴いて、「家族は互いに助け合わねばならない」とわざわざ憲法で決める事の恐ろしさを思います。

勅語と同じです。国民に指令するという形を取れば、今度は誰のために命を、どんな時に命を投げ出せと言いたいのでしょう。
「朕惟ふに」で始まる教育勅語、まさか天皇さんを引き出したりはしないでしょうね。

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